こんにちは。今回は『花開くはずだったプロスペクト』の第三弾です。
こんにちは。2025年ではしばらくの間、新企画として『花開くはずだったプロスペクトたち』という企画をやっていこうと思います! 企画内容2025年現在、プロ野球ではプロスペクトという概念が一般化しています。[…]
今回の再現選手は、素質なら最高クラスの”堕ちた大器”・小野仁選手です。
パワナンバー:11300 70932 43467
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小野仁(12)
秋田経法大附属高→日本石油→読売ジャイアンツ(1997-2002)→大阪近鉄バファローズ(2003)
<再現年度:1998年+アマチュア時代ミックス> 15登板 2勝7敗 59回 40奪三振 防御率5.19
選手について
世界で通用するほどのボールを投じていた、ポテンシャルなら1990年代トップクラスだった左腕。
投じるボールの球威・球速は非常に高く二軍では無双状態だったが、メンタル面の脆さがあり一軍では結果を出せないままキャリアを終えてしまった。
高校時代に日本代表入りし当時最強格のキューバ代表から三振を奪う活躍を見せる。当時は相当な争奪戦が展開されたものの社会人入りしアトランタ五輪への道へ。
社会人では目立った成績は残せなかったものの1996年のドラフト2位で巨人に入団。当然大きな期待をかけられての入団だった。
だが、コントロールを気にするあまり一軍で腕が振れずに痛打されたり四球でランナーを溜めるシーンが目立ってしまった。極度の豆腐メンタルだったことも相まって一軍ではポテンシャルを活かせず。
毎年一軍では期待を裏切る一方で二軍ではノーヒッター・20奪三振・最多勝・最優秀防御率など完全に帝王状態。一軍と二軍の狭間でもがくシーズンが続いた。
2002年は一軍キャンプ入りし才能開花間近と思われたものの金銭トラブルで二軍幽閉に。その年のオフに巨人を追われるようにトレードされ、移籍先の近鉄でも花開くことなく引退を余儀なくされた。
引退後は様々な職を転々としていた。2020年頃のインタビューではセカンドキャリアを何とか歩めていると思われたのだが……………
彼の課題のメンタル面は、原因として父親から常に叱責を受けていたこともあるとのこと。そういった環境面が彼のメンタルに暗い影を落としていたのかもしれない。
とはいえ結果としては「才能を開花できないままキャリアを終えたこと」、「引退後に逮捕歴を重ねてしまったこと」が残ってしまった。球界の損失以外の何物でもないだろう。
能力について
1998年の成績をベースに日本代表の要素も入れました。テーマは「二軍ではトッププロスペクト」です。
ノビB:日本代表時代のストレートは浮き上がる絶品のボールだった。
奪三振:ファームで一試合20奪三振。
球速安定:日本代表では左腕から常時140中盤を投じていた。
一発:被本塁打率1.07。制球を気にしすぎて甘いコースに行きがち。
四球:BB/9 4.42。イメージ的にも欲しい。
乱調:メンタルを乱してコントロールが落ちることが多かった。
スロースターター:デフォ(パワプロ6)から引用。
ガラスのハート:父親のエピソードをはじめ、本来ならメンタルケアやカウンセリングが必要なレベル弱メンタル。かつ現役時代からプレッシャーに耐えられずに金銭トラブルを起こしている。総合的に加味してここまでつけていいと思いました。