こんにちは。今回は「花開くはずだったプロスペクト」企画の記事です。
今回の再現選手は、彗星の如く現れながら危うく広島の悪しき伝統に染まりかけたスピードスター・横山竜士選手です。
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横山竜士(53)
福井商業高→広島東洋カープ(1995-2014)
<再現年度:1997年> 56登板 10勝5敗1S 93 2/3回 104奪三振 3.27
選手について
威力抜群のストレートと切れ味鋭い変化球の双方を操れる快速右腕。カープ一筋20年、先発中継ぎ問わずどんな場面でも仕事をこなしてきた職人肌の好投手だ。
とはいえ今回査定した1997年〜1999年頃の横山投手は高い奪三振能力を持ったプロスペクトと呼ぶに相応しい投手だった。しかし長年の故障によりスケールダウンしてしまい、後年復活したものの当初の期待ほどの成績は残せなかったのも事実。
1994年にドラフト5位で広島に入団。この頃はよくいる素材型高卒投手にすぎなかったものの1997年に開花。
いきなり56登板・93イニングを投げる活躍を見せリリーフ登板のみで10勝を挙げる活躍。奪三振率は10.0と当時の球界の水準を考えると破格の数字を見せ、一気に広島投手陣の救世主候補に躍り出た。
当時の彼の武器はストレート。常時140中盤〜後半、最速152km/hの直球は当時のトップクラス。7割以上をこのボールが占め、力で押せるパワーピッチャーだった。
1997年〜99年の通算で奪三振率9.70、防御率3.23。この数字を広島市民で21-23歳の年齢で見せられれば誰もが将来のエース候補として期待することだろう。
だが彼の飛躍を阻んだのは当時の広島の投手事情だった。
慢性的ピッチャー不足に苦しんでいた90年代の広島は若手有望株を酷使で潰すことが常態化しており(例:山内・澤崎)、実質1年目に横山投手も酷使されてしまったことで後半戦は目に見えて球威の低下が目立つように。
99年にはルーズショルダーを発症し以降は2005年まで登板機会が激減。長い冬の時期を過ごすこととなった。
とはいえ2005年に復活してからはブルペンの一角として苦しい投手陣を支える存在になった。通算500登板は誇れる数字だろう。
現在はカープの二軍投手コーチ。
能力について
ノビA:ストレート8割近くで奪三振率10.0を挙げており動画でもえげつないストレートを投じていた。
奪三振:奪三振率10.0
牽制◯:wikiより。牽制の名手。
逃げ球:被本塁打率0.67、暴投8。市民球場が本拠地なこと、コントロールミスが外に外れやすい点を双方加味。
球速安定:常時140中盤〜後半を出していた。
回またぎ◯:オールリリーフで100イニング近く投げている。
勝ち運:オールリリーフで10勝。
ケガF:後に苦しみ続ける。最大の欠点。