こんにちは。
この記事は『花開くはずだったプロスペクト』の第6弾です。
こんにちは。2025年ではしばらくの間、新企画として『花開くはずだったプロスペクトたち』という企画をやっていこうと思います! 企画内容2025年現在、プロ野球ではプロスペクトという概念が一般化しています。[…]
今回の再現選手は、「10年に一度の大型遊撃手」として期待されていた時代の井口忠仁(現・資仁)選手です。
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井口忠仁(資仁)(7)
福岡ダイエーホークス(1997-2004)→MLB(2005-2008)→千葉ロッテマリーンズ(2009)
<再現年度:1998年> 135試合 .221(421-93) 21本 66打点 12盗塁 OPS.712
選手について
00年代最高のセカンドとして名高い大型内野手。2001年以降に二塁手に転向してから築き上げた数々の栄光は深くプロ野球ファンの脳裏に刻まれているはずだ。
逆方向に力強い打球を放てる打撃・盗塁王に2度輝いた走塁・強肩と華麗な身のこなしを生かした守備と全盛期は5ツールすべてに優れた名二塁手だった。また、日本人メジャーリーガー内野手としては現時点で最高のWARを記録するなど、MLBでも通用した内野手と言える。
そんな彼だがプロ入り後の数年間は遊撃手。二塁転向したのは2001年からだ。
大学時代は1996年のアトランタ五輪で活躍し東都大学リーグで歴代最多本塁打を記録。しかも遊撃手で俊足強肩であることから苛烈な争奪戦となり、当時資金力に優れていたダイエーが逆指名レースを制してドラフト1位でダイエーに入団。
当時のダイエーの遊撃手は浜名千広選手だったが、攻守に突き抜けたものがなく遊撃はダイエーの弱点の一つだった。そのようなチーム状況から将来のコア候補として1年目から多くの出場機会を得る。
実際に2年目・3年目で共に規定打席に到達。遊撃手ながら2年間合計で35本塁打を放つなど才能の片鱗を見せた。
だが一方で当時は粗が多かったのも事実。2割代前半の打率のせいで打順は下位を打つことが多く、1999年以降は守備指標でも芳しくない成績が続いてしまう。
入団当初の大きな期待と比較すると煮え切らない成績であったのは事実だ。
やはり転機になったのは2001年の二塁手転向だろう。守備負担が減り打撃に比重を置けるようになった結果、持ち前のパワーと身体能力が完全に開花。
ここから彼の名選手への物語が始まることになった。
能力について
成績を踏まえて『内野版江越』のイメージで作りました。
ミート:打撃の青特が多く素の打率も低いためかなり低めに。
肩力:メジャーでのダイビングスローなど、明らかに強肩を前提としたプレースタイルをしている。公式査定は低すぎ。
チャンスB:得点圏打率.287(108-31)
対左B:対右打率.211 対左打率.279
初球◯:初球打率.323(31-10)。母数が低いのはこの年の井口選手は深いカウントで勝負することが多かったため(慎重打法もつけています)
広角打法:代名詞。この年もセンターより右に10本塁打。
逆境◯:7回以降2点ビハインド時の打率が.333(87-29)
満塁男:通年要素。通算13本の満塁本塁打を打っている。
回復B:この年はフル出場。
盗塁F:盗塁成功率.667(18-12)。この時代はまだ盗塁技術が高くはなかった。
三振:121三振