こんにちは。今回もパワプロ2020で作成した再現選手を公開していきます。
今回は、パワプロ2016〜2018でOB選手として収録されており、現在は楽天イーグルスの二軍監督を務める奈良原浩選手の西武時代のものです!
※なぜ西武時代で作ったかについては後述します。
パワナンバー:11500 70093 48262
奈良原浩(5)
帝京高校→青山学院大学→西武ライオンズ(1991〜1997)→日本ハムファイターズ(1998〜2006途)→中日ドラゴンズ(2006)
<再現年度:1996年> 108試合 .218(170-37) 2本 8打点 22盗塁 OPS.607
選手について
公称168cmという小柄な体格ながら、そのハンデをものともせぬ華麗な守備と走塁で活躍し続けた内野手。長打力こそ控えめなものの、バント技術の高さと奪四球能力に優れ攻撃面でも一定の結果を残せる、まさに「名脇役」という表現がこの上なく似合う選手。
1990年のドラフトで西武に入団したが、当時の西武は黄金期真っ只中。
三塁に石毛宏典選手・遊撃に田辺徳雄選手・二塁に辻発彦選手という絶対的レギュラーが君臨しており、並大抵の実力では一軍出場が叶わない状況であった。
しかし奈良原選手には最大の武器として守備があった。内野の各ポジションを高いレベルでこなす守備要員として1年目から70試合に出場。
その守備力は、同僚のデストラーデ選手から「MLBで通用するレベル」といわしめたほど。
その後も7年間の在籍で622試合に出場。規定打席にこそ達しなかったものの、ほぼ毎年90試合前後の出場を保ち続け、在籍7年間で5度の優勝に貢献した。
だが、1997年頃から松井稼頭央選手が台頭しはじめ、出番を失う状況に追い込まれかかる。
そこに救いの手を差し伸べたのが日本ハムの上田監督だった。
西崎投手を西武に譲渡する交換トレードの交渉の際、わざわざ名指しで「交換要員として奈良原が欲しい」と西武に持ちかけたほど能力を買っていたのだ。
期待に応えるかのように奈良原選手は日本ハムで飛躍。移籍初年度の1998年にはキャリア初の(そしてキャリア唯一の)規定打席に到達。
HRこそ0本だったものの、打率.280、30盗塁、IsoD.100越えを記録し、ビッグバン打線の中のつなぎ役として98年日本ハムの躍進に大きく貢献した。
その後も準レギュラー兼守備固め要員として内野を駆け巡り、8年間の日本ハム在籍の全ての年で80試合以上の出場を果たしている。
北海道に移転した2004年以降もいぶし銀の戦力として一軍に残り続けた。
2006年シーズン途中に中日に移籍し、その年限りで現役引退。引退後は一度もユニフォームを脱ぐことなく各球団の指導者を続けており、現在は楽天の二軍監督。
規定打席到達が1度でありながら1500試合出場を果たしていることが、彼の守備走塁能力の高さの何よりの証拠と言えるだろう。
再現年度について
旧作のデフォ能力は1998年の日本ハム時代のものを基準に査定しています。
もちろん全盛期査定なので真っ当な査定なのですが、僕の中で「強豪チームの最高の守備要員としての奈良原選手」も作りたい……!と思い、今回は西武時代のデータを基に作成してみました。
また、守備指標の全盛期は西武時代というデータを見て、守備の全盛期としての査定も意識してみました。
なぜ1996年にしたかは、1つは盗塁数と犠打数が自己最多で名脇役感がかなり出てるように思えたからです。もう1つは査定資料の関係です(テヘペロ)
能力について
デフォOBとは結構変えてます。全体的に打撃を成績相応にし、守備を挙げてみました。
肩力・守備力:日本ハム時代は守備得点を見ると実はマイナス。(※1)西武時代は二塁・遊撃ともにプラスだったため今回はデフォよりかなり盛りました。一方で三塁守備にはほとんど付いていないためデフォより適性を落としてあります。
チャンスE:非得点圏打率.224(147-33)、得点圏打率.174(23-4)。サンプル少ないのでE止まりに。
対左C:対右打率.205、対左打率.245
ケガしにくさC:デフォと同じ。キャリア通算で大怪我は一度もなく、コンスタントに試合出場を続けた。
内野安打○:内野安打率27.0%
意外性:脇役感を出したかった。西武時代はこの年のみHRを放っていることから。
選球眼:IsoD.077は控え選手としてはかなり優秀。
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