【パワプロ2020】1996佐野重樹(近鉄) パワナンバー【再現選手】

こんにちは。

今回公開する選手は、1990年代に近鉄のリリーフエースとして大活躍し、中継ぎ投手史上初の1億円プレイヤーにもなった佐野重樹投手です。

パワプロ2020 再現選手 佐野重樹選手_1996年版

 

パワナンバー:11400 40254 89781

<画像ファイル>

佐野重樹(14) ※

松山商業高校→近畿大学工学部(呉キャンパス)→近鉄バファローズ(1991〜1999)→中日ドラゴンズ(2000)→海外独立リーグ→オリックス・ブルーウェーブ(2003)

<再現年度:1996年> 57登板 5勝3敗7S  97 2/3回 2.95

※当時の登録名および本名。現在の芸名は「佐野慈紀」

選手について

90年代の近鉄バファローズを代表する人気選手にして、オリジナル投法『ピッカリ投法』の持ち主。軽妙なトークと個性的な風貌で全国的な知名度を誇った。

三枚目キャラとは裏腹に、ルーキーイヤーから毎年中継ぎの柱としてフル回転した近鉄が誇る中継ぎエースでもあった。

ピッチングスタイルは、体格通りの重くて威力のある直球とキレのいいスライダーを、体格とは裏腹に緻密なコントロールで投げ分けるタイプ。決して打者を圧倒するタイプではないものの、安定感の高い投球で大崩れせず抑えにバトンを渡せる投手だった。

90年代の近鉄は「いてまえ打線」と呼ばれた強力野手陣を抱える一方で、投手陣に弱さのあるチームであり毎年投手陣のやりくりには苦労していた。

そのようなチーム事情が佐野投手には追い風となり、ルーキーの1991年から登板機会に恵まれた。

当時の中継ぎ投手は現在のように1イニング専任ではなく、複数イニング投げるのが当たり前の時代。彼も例外ではなく、毎年登板数の約2倍のイニングを任されていた。

また中盤〜終盤の競った試合内容で登板する機会が多かったことから、中継ぎ投手の割に勝ち星が多い投手であったことも知られる。実際に1994年〜95年の間には、先発登板0にもかかわらず2年間で18勝を挙げた。

今回の再現年度の1996年は、彼にとってキャリアハイの年。リーグ最多の57試合に登板を果たし、防御率も2点台。WHIPなどの指標面でも自己最高の数字を残した。この年のオフの契約更改で年俸1億円に到達し、中継ぎ投手として初の1億円プレイヤーになった。

数字のみを見るとわかりにくい、イニングイーターとしての貢献度の高さと離脱しない体の強さを買われた結果だろう。

しかし、翌1997年に肘痛によって不振に陥ったことをきっかけに、頭とは裏腹に一気に輝きを失ってしまう。

先発転向も中日移籍も転機とはならず、2000年に戦力外になってしまう。その後の米球界挑戦も失敗に終わり2003年限りで現役引退。

一方で、野球選手としては屈指の明るい性格やキャラの立った風貌から、現役時代からタレントとしても活動していた。

松嶋菜々子氏と「とんねるずのみなさんのおかげです」に出演したり、単独でドラマ俳優として起用されたことも。

また若い野球ファンにとって、彼の知名度を最も上げているシーンはマスターズリーグ・モルツ球団戦だろう。

ワインドアップの際に帽子を落とすピッカリ投法をはじめ、小田幸平選手・和田一浩選手・あげくは審判をも巻き込んで帽子を飛ばして乱闘する姿は一種の風物詩となっている。

引退後のあれこれについては今回は触れません……

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能力について

変化球:投球割合はスライダー>>シンカー。スライダーについては「4つの握りがあった」「球速やリリースに変化をつけて翻弄した」とのことだったため、第2球種を使って投げ分けを表現しました。

スタミナ:起用法に対してイニング多めのためDで。

打たれ強さC:実は毎年イニング数とほぼ同数の被安打を浴びており、当該年度も97.2回に対して96被安打。それでも毎年大崩れしていないことを考慮。

回復B:最多登板、100イニング近くを中継ぎだけで投げている

リリース○:上記のスライダーに関するエピソードから。あと多少青特付けないとオーペナ2点台はきつい…

回またぎ○:先発0にもかかわらず登板数よりイニング数が2倍近く高い。この時代の中継ぎ投手の過半数には付くんじゃないかな

一発:被本塁打率1.11

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