こんにちは。
今回の再現選手は、ドラフトで8球団競合となった大学野球史上屈指のサウスポー・小池秀郎投手です。
パワナンバー:11700 80138 60303
小池秀郎(23)
信州工業高校(現:東京都市大学塩尻高等学校)→亜細亜大学→松下電器→近鉄バファローズ(1993-1999)→中日ドラゴンズ(2000-2001)→大阪近鉄バファローズ(2002-2004)→楽天イーグルス(2005)
<再現年度:1997年> 27登板 15勝6敗 182 2/3回 136奪三振 防御率2.96
最多勝
選手について
かつての東都史上No. 1投手。大学時代に敵なしの投球を見せ、大学時のドラフトでは当時史上最多の8球団競合になった大物左腕。スピードガン上でのスピードはそこそこながら、数字以上に威力のある直球と、巧みに打者の狙いをかわす投球が武器。
亜細亜大学時代の通算成績は63登板 28勝14敗 防御率1.45 394奪三振。特に奪三振数は、現在でも東都大学リーグ史上最高の数字だ。
だが、注目された1990年ドラフトでは、当初から小池サイドが「指名されたら拒否」の意向を示していたはずのロッテが当たりくじを引いてしまう。その結果、この年の指名を拒否し社会人の松下電器に入団。なお、当初ロッテは小池投手を指名する予定はなかったものの、当時の金田正一監督の”鶴の一声”でドラフト直前に指名する方針になったとのこと。
社会人では大学時代ほどの圧倒的なピッチングは見られず。結局ドラフト解禁になった1992年は近鉄の単独1位指名という結果に。
投球スタイルは、キレのある真っ直ぐを軸にスライダー・カーブ・フォークを織り交ぜるオーソドックスなもの。裏を返せば直球・変化球・制球のどれか明確な武器がないと中途半端になりやすいタイプ。1996年までの小池投手はまさにその状態で、武器を持てず今一歩伸び悩んでいた。
しかし1997年は一転して好調。当時の小林繁投手コーチによるフォーム改造がハマり、直球・変化球ともに威力が向上。リーグトップの被打率を誇る「打ちづらい投手」として君臨し、キャリアハイの15勝を記録。見事最多勝に輝いた。
しかし好成績は長続きせず、1998年から数年間は一転して不調に。課題だった制球難がぶり返したことや好不調の波が激しいことが災いした形か。
1999年オフに大型トレードで移籍した中日でも本調子とはいかず、2001年に戦力外通告を受けてしまう。
出戻りの形で復帰した近鉄では、吉田豊彦投手らと並び左の中継ぎとして活躍。全盛期のようなスピードは失われていたものの、変則フォームから繰り出される落差の大きい変化球を武器にするスタイルに変貌を遂げた。特に2003年にはリーグ最多登板を達成した。
2005年限りで引退。現在はNOMOベースボールクラブの理事とパーソナルトレーナーを兼任しているとのこと。
能力について
実は「被打率リーグトップ」「四球数リーグワースト」「直球の投球割合が過半数」「それでもMAXは140km/h台前半」とかなり特徴を掴みにくい成績でした。
そのためオーペナではやや弱目になっています。。。15勝&防御率2点台は厳しいかも
総変化量:本来は軟投派投手ではないが、当該年度の好成績を考えると9あってもいいかと判断しました
ノビB:球速こそ速くないものの直球中心の投球で被打率リーグトップ。大学時代も直球は垂れずに伸びる球質のボールだった。
勝ち運:通算で2桁勝利はこの年のみ。+翌年は防御率6点台後半にも関わらず4つも勝ち越していることも考慮
球持ち○・緩急○:映像から。遅い球を駆使して直球を速く見せる技術には定評があった。
四球:96四球
対左E:対右被打率.202 対左被打率.240
調子極端:シーズンごとの振れ幅が激しすぎる。この年も後半戦に10勝を荒稼ぎしているなど好不調の差も大きめ。
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