こんにちは。
今回の再現選手は、平成の西武黄金期を支えたリリーバー潮崎哲也投手の先発時代のものです。
パワナンバー:11200 70015 35156
潮崎哲也(16)
鳴門高校→松下電器→西武ライオンズ(1990-2004)
<再現年度:1997年> 27登板 12勝7敗 174回 108奪三振 49四球 防御率2.90
選手について
1990年から1994年にかけて西武ライオンズは5年連続でリーグ優勝を果たし常勝軍団と呼ばれた。その投手陣で最も貢献度が高い選手のうちの一人が潮崎投手だ。今回はその先発時代。
高校時代は決して有名投手ではなく、才能開花したのは社会人入りしてから。高校時代に覚えたシンカーに加え、球速も10km/h以上伸ばした彼は一躍スカウトの眼に留まるように。また、社会人時代にソウルオリンピックにも出場。1989年の「史上最高のドラ1組」の一角として強豪・西武ライオンズに入団。
1年目からリリーフエースとして獅子奮迅の活躍を見せる。ルーキーイヤーから100イニングを投げ防御率1点台、1993年には防御率1.18を残す。鹿取義隆投手・杉山賢人投手との3人の中継ぎリレーは「サンフレッチェ」とも称された。
特に魔球シンカーは当時のパリーグの強打者だけでなく日本シリーズでのセリーグ打者でさえも手が出ず。高津臣吾投手は潮崎投手のシンカーに影響されてシンカーを習得した秘話もあるほど。
とはいえ中継ぎにとって登板過多での成績不振は避けられない現実。1995年頃から徐々にリリーフ失敗も目立つように。チームも2年連続V逸してしまう。
そこで1997年、東尾監督は「潮崎投手の先発転向」という手に出る。不足しがちな先発を補いつつ、当時下降線と見られていた潮崎投手を再生する狙いがあった。
その策は見事的中。先発の軸として12勝を挙げ、この年のリーグ優勝に大きく貢献。投球内容自体もよく、復活のシーズンと言える結果に。
翌年に防御率4点台に沈むと、その後は中継ぎ兼谷間の先発といった便利屋起用が目立つように。それでも随所で技巧を凝らしたテクニックを見せつけ続けた。
2004年限りで現役を引退。その後も投手コーチや編成部などで西武に関わり続けている。
能力について
フォーク:見慣れないかもしれないが、1997年には約10%ほど投じている。当時の資料にも新球種として使っていた記述があった。
Hシンカー:高速シンカーを使い始めたのは1999年から。この年はまだ
シンカーはオリ変にしたかったですがホールスアンがデレてくれませんでした(半ギレ)
対ピンチB:非得点圏被打率.260(497-129) 得点圏被打率.189(148-28)
キレ○・リリース○:デフォにもあり。シンカーの威力再現。
牽制○:資料に「牽制球が得意」とあったことから
ノビE:直球の走りが悪くなっていることを指摘されていた。被本塁打率0.93も決して良い数字ではない。
対左E:対右被打率.227 対左被打率.265
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