こんにちは。
今回の再現選手は、大病と戦いながら最期まで一投手であり続けた1999年の最多ホールド投手・藤井将雄投手です。
パワナンバー:11200 41252 70395
<画像フォルダ>
藤井将雄(15)
唐津商業高→日産自動車九州→福岡ダイエーホークス(1995〜2000)
<再現年度:1999年> 59登板 3勝1敗3S 71 2/3回 53奪三振 2.89
最多ホールド
選手について
肺がんという大病に襲われながらも懸命にマウンドに立ち続けたリリーバー。その精神力の強さから炎の中継ぎとも称された、1999年パリーグ最多ホールド投手。
1995年に社会人から入団した当初は先発だったが目立った成績は残せず。徐々に存在感が薄くなるかと思われたが、1998年の中継ぎ転向が転機に。 この年に48試合に登板し防御率3.05と結果を残すと、その好成績を自信にして翌99年は飛躍。
開幕から中継ぎの柱としてフル回転し、篠原・吉田・ペドラザらと鉄壁の中継ぎ陣を築いた。59試合に登板して防御率2点台とリリーフエースとして申し分のない活躍を見せる。
また人間性の良さでも知られており、ベテランの工藤・武田らが若手選手らに厳しい指導をしていた際には、裏で若手を慰める役もしていたという話も残っている。
だが絶頂にあった彼を襲ったのは病魔だった。
日本シリーズ前の身体検査で彼に肺がんが見つかってしまう。その段階ですでに余命3ヶ月であり、来季以降の復帰は絶望的と思われた。
そんな中でも彼は諦めずにリハビリと闘病を続け、翌2000年には二軍戦で6登板するまでに回復。
しかし徐々に体ががんに蝕まれていき、2000年の優勝時には限界が近づいている状態だった。
2000年の10月13日に31歳の若さで帰らぬ人に。
それでも彼の投球と野球への取り組みは永遠にファンの中に刻まれている。
選手について
ピンチB:得点圏被打率.200
回復B:登板数的には十分つけていい範疇。
牽制○:1999年だけで牽制アウトを2個奪ったとのこと。
回またぎ○:イニング数>登板数+10なので
<他の選手はこちらからどうぞ!>