こんにちは。1999年福岡ダイエー再現の4人目です。
今回の再現選手は、前半の大不振から這い上がったダイエーの主砲・小久保裕紀選手です。
パワナンバー:11100 71186 14248
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小久保裕紀(9)
星林高→青山学院大→福岡ダイエーホークス(1994〜2003)→読売ジャイアンツ(2004〜2006)→福岡ソフトバンクホークス(2007〜2012)
<再現成績:1999年> 130試合 .234(465-109) 24本 77打点 OPS.773
選手について
福岡ダイエーホークスを弱小から強豪に変えた立役者の一人。右打席から放たれるホームランは打撃フォームも軌道も美しく、「ホームラン・アーチスト」という形容がよく似合う強打者。
同時に人間性の良さやキャプテンシーにも定評があり、巨人・ホークスで主将歴が豊富。かつては日本代表を務めたこともある、日本を代表するスラッガーだ。
1994年にホークスに入団。1年目こそプロの壁に跳ね返されたものの、王監督の「とにかく一発を狙え」という指導のもと才能が開花。2年目には早くもHR王、1997年には打点王とリーグを代表する右の大砲に上り詰めていく。
1998年にとあるスキャンダルで出場停止になったこともあったが、毎年30HR前後を安定して放つスラッガーとして君臨した。
しかし2003年にオープン戦のケガで膝を故障。球団との確執もあり、無償トレードで巨人へ移籍。この報道は当時大きなニュースになった。
巨人移籍後も、チーム状態が最悪な中で孤軍奮闘。チームを引っ張る姿でも後輩たちに影響を与えた。2004年の44HRは巨人の右打者で最多記録だ。
2007年にFAで古巣ホークスに復帰後も、長打力に陰りは見えたものの主砲として貢献。2012年の引退まで常に一線級であり続けた。
今回の再現年は彼にとって苦難と復活の年。
前年に痛めた肩の調子が上がらず序盤は大不振。打率もレギュラー定着後では最低に。それでもチームトップのHRと打点を放ち、主砲としての意地を見せたシーズンだった。
能力について
PH:どんなに不振でも彼の特徴を出すには必須に感じました。24HR打ててるならいいんじゃないかな
チャンスE・逆境○:得点圏打率は.201止まりだが殊勲HRはリーグ最多(先制5、同点5、勝ち越し2、逆転2)。
回復B:後半に調子を上げている&キャリア全体で怪我しても翌年に響いていないため
三振:104三線
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