こんにちは。
今回の再現選手は、自己最高の投球を見せながらわずか4勝に終わった悲運のタイトルホルダー・金田政彦選手です。
パワナンバー:13800 20457 16005
金田政彦(11)
大分県立高田高→日産自動車九州→オリックス・ブルーウェーブ(1993-2004)→東北楽天ゴールデンイーグルス(2005-2006)
<再現年度:2002年> 23登板 4勝9敗 140 2/3回 85奪三振 2.50
最優秀防御率
選手について
大きなカーブを軸にした変化球で打者を幻惑する細身のサウスポー。若干スタイルは異なるものの星野伸之選手を彷彿とさせる見た目やピッチングで1990年台〜2000年台のオリックス投手陣を支えた。
その一方で怪我や援護運など、若干運に見放された部分も否めない選手でもある。特に当記事の年度は最優秀防御率でありながら大幅負け越しという暗黒オリックスを象徴する事案となってしまった。
1992年のドラフト2位でオリックスに入団。入団してしばらくはイメージと異なりノーコン本格派寄りの投手だったとのこと。そのせいで四球がかさみ結果を残せないシーズンが続いた。
それでも1996年頃から一軍での出場機会を増やし始め、キレのある直球と変化球を武器に先発ローテの一角になっていく。1999年にはキャリア唯一の2桁勝利を挙げた。
金田投手自身は年々成績を伸ばしていくものの、オリックス球団は95・96年の連覇以降に球団経営のスリム化を図った影響で予算縮小していくことに。ドラフトや補強資産も減ったことで徐々に戦力ダウンしてしまう。
2001年までは仰木監督の采配もありなんとかAクラスを死守したものの、2002年は12球団で唯一チーム打率が.240を割るなど歴史的貧打に苦しんでしまった。
そのため金田投手がどれだけ好投しようと打線の援護がないため勝ちが付かず、といったシーンが頻発してしまったことが4勝9敗の原因とされている。
2003年以降もローテの谷間で活躍を続けたものの年齢には勝てず2006年限りで現役引退。
現在は検針員として働きつつ少年野球の指導者を務めている。
能力について
スラーブ:映像見た感じだとVスラよりこっちだと感じました
対左B:対右被打率.271 対左被打率.207
クイックB・リリース○・打球反応○:デフォから。
緩急○:早くない球速でも結果を残した+スローカーブが効果的だったため
内角攻め:7死球。内角を見せ球に使うことで外の変化球を生かしていたとのこと。
負け運:まあ勝ち星を見たらそりゃ……ね……
<他の選手はこちらからどうぞ!>
今作で作成した選手の一覧はこちらにまとめています! 投手ユウキ(1999年・近鉄)桑田真澄(2002年・巨人)吉見祐治(2002年・横浜)正田樹(2002年・日本ハム)金田政彦(20[…]