こんにちは。この記事は1999ダイエー再現企画のものです。
今回の再現選手は、故障を抱えながらもキャプテンとしてチームを牽引し続けたアスリート外野手の秋山幸二選手です。


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秋山幸二(1)
八代高→西武ライオンズ(1981〜1993)→福岡ダイエーホークス(1994〜2002)
<再現年度:1999年> .256(366-99) 12本 44打点 3盗塁 OPS.711
選手について
NPB史上最高クラスの身体能力を誇るスーパー外野手。全盛期は西武で長年クリーンアップを務めた5ツールプレイヤーであり、メジャーにもっとも近い男と呼ばれたことも。
西武時代は9年連続30HR・トリプルスリー・30本50盗塁など数々の輝かしい実績を残したスター。
そんな彼は93年にFA権を取得すると、FA行使を予想した西武が「FA取得まで猶予があり、左打ちのスラッガー」である佐々木誠を求めたため3対3の大型トレードでダイエーに移籍。当時の球界を揺るがす大トレードになった。
ダイエー移籍後も持ち前の長打と好守を期待されたものの、球界屈指の広さとフェンスの高さを誇る福岡ドームへの対応に苦しむことに。HR数は移籍後は一度も30本に届いていない。さらに長打狙いの弊害で腰を痛め、守備面でも徐々に衰えを見せていく。
それでも彼には常勝軍団のメンタリティが備わっていた。献身的なプレースタイルへの転身・試合前後の練習量や立ち振る舞いは後輩選手らに多大な影響を与えた。ダイエーの甘い体質を変えた功労者の一人として評価されている。
再現年度の1999年にはダイエー初代主将に就任。この年もOPSこそ移籍後ワーストの成績に苦しむものの、常に全力プレーを続けチームを鼓舞した。特に、9月に松坂から顔面死球を受け頬骨を骨折したにもかかわらずレガースを着用し即復帰したシーンは福岡のファンを熱くさせたシーンだろう。
日本シリーズでの超美技も名シーンだ。
2002年限りで引退するも、移籍当初は弱小チームだったダイエーは秋山選手の引退時には強豪チームの1つになっていた。
2009年から王監督の後釜としてシーズン優勝3回を誇る名監督になったのも記憶に新しいだろう。
能力について
対左A:対右.228 対左.386
初球○:初球&1ストライク打率:.411(73-30)
守備職人:日本シリーズの美技。あれは身体能力だけでは無理だよね……!
回復B:ケガからすぐ回復してる&年齢に対するパフォーマンスの高さの維持能力。
盗塁E:盗塁成功率.600(5-3)
ケガE:腰痛など満身創痍の中のプレーだった。
三振:三振率19.8%。2ストライクからはどのカウントも1割台以下。
併殺:12併殺。走力を考えるとやや多め。
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