こんにちは。
以前から作っていた1999年福岡ダイエーホークスを作成したので、この記事で公開したいと思います!
未公開の選手記事はチームをアップし次第随時更新していく予定です。
パワナンバー・チーム概要
パワナンバー:21500 60020 28336(2021年度版)
78勝55敗3分 勝率.591
パリーグ優勝・日本一
今回は1999シーズンで一軍に出場した選手については全選手を収録してあります。
1999年の福岡ダイエーホークスとは?
全員野球で福岡移転後初のリーグ優勝・日本一を掴んだ栄冠の年。そしてのちの常勝ホークスの礎となった記念すべき年。
前年1998年に勝率.500で21年ぶりのAクラスを掴んだダイエー。しかしその年のオフに武田一浩が中日へFA移籍。もともと弱かった投手陣に大きな穴が空き、シーズン前は上位進出が不安視されていた。
その下馬評を覆すかのように開幕から投手陣は好調をキープ。
先発では、前年度まで不調に苦しみ続けていた若田部健一投手、即戦力と目されながらルーキーイヤーは不振に終わった星野順治投手・永井智浩投手らニューカマーの先発陣が躍動。彼らがともに2桁勝利をあげ先発の穴を完全に埋めた。
同時に中継ぎ陣も磐石の体制が整う。前年度に開花の兆しを見せた藤井将雄投手・移籍を期に覚醒した吉田修司投手・直球を武器に三振の山を築いた篠原貴行投手らが揃い、抑えには緊急補強で加入したペドラザ投手がピッタリとハマる。7回から9回を制圧できるリリーフによって多くの逃げ切り試合・逆転勝ちがもたらされた。
一方で打撃陣はやや不振気味。
規定打席にこそ8名が名を揃えレギュラー陣を固定して戦えたシーズンであったものの、打率トップテン入りは城島健司選手ただ一人。軒並み前年に比べて数字を落としており、1999年の打率ランキングワースト3にはいずれもホークスの選手が入る状態であった。
それでも「ここぞ」の勝負どころで力を発揮する選手が多かったのも1999年ダイエーホークスの特徴。リーグ最多タイの12回ものサヨナラ勝利を記録している。
シーズン序盤は勝率5割前後からのスタート。そんな中、4月30日に元ダイエー監督にして球団社長を務めていた根本陸夫氏が急逝してしまう。チームの土台を築き選手からの信頼も厚かった男の突然の訃報にチームは動揺に包まれた。
だが、この悲しみを反骨心としてチームの勢いは加速を始める。5月9日に初めて首位に立つと、途中失速した時期もあるものの安定して勝ち星を積み重ね8月終盤にマジックを点灯させる。
しかし試練はまだ残っていた。9月に入ると連敗が重なり2位西武と一時は0.5ゲーム差にまで迫られる。さらに主将の秋山幸二選手が松坂投手から頭部死球を受け戦線離脱。正念場を迎えることに。
それでも9月中旬から再び連勝モードに入り一気にマジックを減らしていく。そして9月25日の日本ハム戦で福岡移転後初のリーグ優勝を果たした。
続く日本シリーズ。中日の打線のキーマンとして関川浩一選手をマークしていたダイエーは、初戦先発の工藤公康投手らによる”関川封じ”を敢行。シーズン中の切り込み隊長を日本シリーズにおけるブレーキ役に転じさせ、4勝1敗で日本一に輝く。
このシリーズでは秋山幸二選手による超ファインプレーも見られ、たびたび名シーンとして放送されている。
この優勝で松中・城島・井口・小久保・篠原ら2000年代のダイエー黄金期を支えるメンバーたちが初優勝を経験。彼らによって翌2000年・2003年のパリーグ制覇から連なるホークス常勝の歴史が始まることになっていく。
アレンジチームについて
上記の通り今回は1999年度に一軍出場した選手は全収録しました。
ただし(特に野手陣で)能力値の平均が高くないため、優勝を狙うには選手の調子の見極めと起用法が重要になってくると思います。オーペナ回すと優勝できないこともそこそこあります……
あとセカンドが穴なので調子のいい選手でやりくりしましょう。この辺りは翌2000年の選手事情と似てくる部分ですね
なおオーダーについてはDHありベストが基本線・DHなし対左が日本シリーズ時のオーダーとなっています!
収録選手
※一部選手は「詰め合わせ」という形でまとめて記事化する予定です!
投手
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捕手・内野手
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