こんにちは。1999ダイエーホークス企画の2人目です。
今回の再現選手は、極度の不振に苦しみながらも選手会長としてチームを引っ張ったイケメン内野手の浜名千広選手です。
パワナンバー:11400 21156 14874
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浜名千広(8)
国士舘高→東北福祉大→福岡ダイエーホークス(1992〜2001)→ヤクルトスワローズ(2002〜2003)→千葉ロッテマリーンズ(2004)
<再現成績:1999年> .226(354-80) 2本 27打点 5盗塁 OPS.594
選手について
1990年代のダイエーでレギュラーとして内野を守り続けた俊足内野手。1年目からプロの遊撃を守れる守備走塁もさることながら、プロ野球史上でも屈指のイケメンとしても有名。
プレースタイルとしては俊足を武器にした広い守備範囲と抜群のバント技術が売り。内野ならどこでも守れるユーティリティ性も売りだ。
東北福祉大時代には斎藤隆らとチームメイトであり、日米大学野球の選抜メンバー常連だった。即戦力内野手として期待され1992年にダイエーに入団。
当時のダイエーは遊撃手候補が不足しており、1年目からショートのレギュラーとして起用された。1年目から再現年度の1999年まで毎年110試合以上に出場。内野の一角としての立場を固めていく。
だが、出場機会の割に成績は伸び悩み傾向。細身の体格でスタミナに欠けるからか、打率は毎年.230〜.260の間に終始。
1996年は盗塁30を超えて一流選手への階段を登ったかに見えたが、翌97年はまた低迷。一流と二流の狭間でもがいたまま中堅になってしまう。
その間に井口・小久保ら有望な若手内野手が入団し内野の競争も激化していく。
再現年度の1999年は、彼にとって大きな分岐点になった(なってしまった)年。
選手会長に就任しチームリーダーとしての活躍も期待された彼を待ち受けていたのは極度の不振だった。打率も長打も盗塁も過去最低ペースの成績に終始し、なんとか規定打席にこそ到達したものの打率リーグワースト2位・OPSワースト1位に沈んでしまう。
低迷は止まらず、2000年以降はレギュラーからも転落。そのまま2004年の引退までレギュラーに返り咲けずに終わった。
現在は野球解説者。
能力について
※再現年はセカンドメインです。
バント職人:リーグ3位の29犠打。バント技術は評価が高い。
走塁B:三塁打4本。これだけでBは本来は弱いが、打撃を考えた時のレギュラー救済策として必要かな……
チャンスE:非得点圏.236(274ー64) 得点圏.195(82-16)
ケガE:ヘルニア持ちで翌年から特に苦しめられてる。
回復E:細身の体格ゆえシーズンを完走するスタミナに欠けがちだったとのこと。
盗塁F:盗塁成功率.500(10-5)
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