【パワプロ2020】1999ダイエーホークス その他投手詰め合わせ【再現選手】

こんにちは。

この記事では個別記事で紹介していない1999ダイエーの選手を載せていきます。まずは投手陣編です!

※記載は背番号順です

 

12 斉藤貢

所沢商業高→明治大(中退)→プリンスホテル→ダイエー→日本ハム

<1999年成績> 5登板 0勝1敗 6回 18.00

かつては社会人No. 1右腕として即戦力を期待された右腕。しかしプロの壁は厚く徐々に登板機会を失っていく。

1999年は二軍でクローザーを務めたが、一軍中継ぎ陣には割って入れなかった。現在は楽天のチームスタッフ。

パワプロ2020 再現選手 1999斉藤貢選手

 

21 山崎慎太郎

和歌山県立新宮高→近鉄→ダイエー→広島→オリックス

<1999年成績> 1登板 1敗 4 1/3回 12.46

近鉄時代は野茂・小野和義に続く3番手先発として活躍。キャリア通算で3度の2桁勝利を挙げている。しかし1997年頃から一気に成績が下降し始めてしまう。

復活を期してFA移籍したダイエーでも2年間で2勝と期待を裏切る結果に。1999年も開幕ローテ入りは果たしたが初登板の炎上で終わってしまった。

パワプロ2020 再現選手 1999山崎慎太郎選手

 

22 長富浩志

千葉日大第一高→国士舘大→NTT関東→広島→日本ハム→ダイエー

<1999年成績> 9登板 2勝1敗 8 2/3回 7.27

かつての「スピードガンの申し子」の一人は現役後半はスローボールの魔術師へ。広島時代の速球は完全に衰えたものの、スライダーを多投する新たなピッチングスタイルで選手寿命を伸ばした。

1999年こそ不振だったものの、前後年は右のショートリリーフとしてブルペン陣に欠かせない存在だった。

パワプロ2020 再現選手 1999長富浩志選手

 

24 土井雅弘

下松工業高→新日鐵光→新日鐵八幡→ダイエー→オリックス

<1999年成績> 1登板 3 /1/3回 24.30

左腕から大きく曲がるスローカーブを繰り出す軟投派投手……だったのだが、この手の投手にしてはあまりにもコントロールが悪かった。

2000年こそプチブレイクするものの、結局キャリアを通して制球難は改善されなかった。

パワプロ2020 再現選手 1999土井雅弘選手

 

34 吉武真太郎

大分県立国東高→ダイエー・ソフトバンク→巨人

<1999年成績> 8登板 1勝1敗 18 2/3回 7.23

ホークス時代は後半のセットアッパーの印象が強いはず。だがキャリアの前半は先発投手として次期エース候補と呼ばれた投手だった。

1995年〜1998年はそれなりの活躍を見せるも、故障と慢心(本人談)の影響で1999年から長いトンネルに迷い込んでしまった。

 

37 佐久本昌広

久留米工大附属高→大和銀行→ダイエー→阪神→横浜

<1999年成績> 13登板 36敗 54 1/3 4.97

1997年にはリリーフエースとして活躍した、ボールのキレ味が武器の左腕。しかし先発転向に失敗してから成績が下降していく。

この年も先発ローテとして期待されながらも不振に。被打率が.300を超えるなど、完全に決め手を欠いてしまっていた。

パワプロ2020 再現選手 1999佐久本昌広選手

 

41 倉野信次

三重県立宇治山田高→青山学院大→ダイエー・ソフトバンク

<1999年成績> 8登板 14  2/3回 14.11

現在は魔改造の使い手として知られる名コーチ。現役時代は「3年に一度活躍する男」としても知られていた。

前年に活躍したこともあってか、この年は不調に。次の活躍年は2001年まで待つことになる。

パワプロ2020 再現選手 1999倉野信次選手

 

44 水田章雄

清教学園高→立命館大→大和銀行→ダイエー・ソフトバンク

<1999年成績> 15試合 12敗 34 2/3 5.23

140km/h台後半のストレートとスライダー・フォークを操り三振を奪っていく本格派右腕。即戦力として期待される中、ルーキーイヤーからそこそこの活躍を残す。

だが制球とメンタル面に課題が残り、才能が開花するのは30代半ばになってからだった。

パワプロ2020 再現選手 1999水田章雄選手

 

45 岡本克道

柳ヶ浦高→東芝→ダイエー・ソフトバンク

<1999年成績> 1登板 2回 4.50

ダイエーを弱小チームから強豪に変えた立役者の一人。ルーキーイヤーから小気味のいい投球で2年間で40セーブを挙げている。

1999年と2000年は故障で不振だったものの2001年以降は復調。通算防御率は2点台。地味だが優秀な中継ぎ投手だ。

パワプロ2020 再現選手 1999岡本克道選手

 

64 田之上慶三郎

鹿児島県立指宿商業高→ダイエー・ソフトバンク

<1999年成績> 11登板 23敗 35回 4.89

緩急自在の投球で2001年には最高勝率にも輝いた先発型右腕。ドラフト外での入団ながら18年の現役生活を送れたのは立派の一言。

1999年は登板機会こそ少なかったもののローテの穴はしっかり埋めた。翌年からパワーアップを果たし一気に台頭していく。

パワプロ2020 再現選手 1999田之上慶三郎選手

 

66 カズミ(斉藤和巳)

南京都高→ダイエー・ソフトバンク

<1999年成績> 1登板 1回 9.00

のちのNPB最強投手。だがこの時期はルーズショルダーに悩まされ、一時期は野手転向を検討されるほどであった。1999年は二軍でも中継ぎがメイン。

翌2000年に先発で5勝を上げ頭角を表し、少しずつだが確実にエースへの階段を登っていく。その後の活躍は周知の通り。

※後の活躍を考慮して成績より強めにしてあります。

パワプロ2020 再現選手 1999斉藤和巳選手

 

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