【パワプロ2022】1999ユウキ(近鉄) パワナンバー【再現選手】

こんにちは。この記事は『パラレル転生選手』キャンペーンの一環となります。

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今回の再現選手は、素質は十分ながら度重なる怪我に泣いた悲運の投手・ユウキ投手です。

 

パワプロ2022 再現選手 1999ユウキ選手1 パワプロ2022 再現選手 1999ユウキ選手2

パワナンバー:13900 90079 13421

 

ユウキ(64) ※本名:田中祐貴

杜若高→大阪近鉄バファローズ(1998〜2001)→オリックス・ブルーウェーブ / バファローズ(2002〜2008)→東京ヤクルトスワローズ(2009〜2010)

<再現年度:1999年> 16登板 53敗 71 1/3回 54奪三振 3.91

<パラレル再現テーマ> もし彼にケガがなかったら?もし彼の肩が「壊れない肩」だったら?

 

選手について

度重なるケガで稼働年数は短かったものの、稼働したシーズンでは高確率で好成績を残した本格派右腕。近鉄・オリックス・ヤクルトの3球団を渡り歩き、その各球団で確かな足跡を残してきた選手だ。

 

1997年のドラフト5位で近鉄に入団。当時はルーキーの真木投手(近鉄→巨人)らがいたため即戦力ではなかったものの、投壊気味のチーム事情から将来のエース候補として期待されていた。

1年目こそ登板がなかったものの、今回の再現年度である2年目の1999年に早速頭角を表す。

投手陣が崩壊した中で数少ない若手投手として春先から一軍で起用されるようになり、5月16日に初先発で初勝利を果たす。その後も快投を続け、高卒2年目にして5勝を挙げる飛躍のシーズンになった。

しかし翌年は制球に苦しみ被本塁打も急増。2001年の優勝にも貢献できなかった。

 

最初の転機は2002年。加藤伸一投手の人的補償でオリックスに移籍することになる。

この時に発した「ボロボロのギッタンギッタンにして見返してやりますよ」という言葉通り、7勝で防御率1.93というキャリアハイの記録をマーク。一躍エース候補に躍り出た。

だが、翌年から2年間は右肩の故障に苦しみ一軍登板はなし。奇しくも同時期はオリックスが歴史的投壊に苦しんだ時期だったこともあり、「ユウキが万全ならここまで投手陣崩壊しなかった」との声も。

 

それでも右肩痛から立ち直った2005年以降は一軍での登板機会も持ち直し、2006年〜2007年は谷間の先発やロンギリリーフとして一軍戦力に。しかし2008年に再度怪我に苦しみ戦力外となってしまう。

 

2009年は育成契約でヤクルトに移籍。ファームで好調だったことから支配下復帰を果たすと、超スローボールを武器に再度先発ローテに返り咲く。この年は自身初の100イニング超えを果たすなど完全復活を予感させるシーズンに。

翌年も期待されたものの再度ケガに襲われてしまい、2010年限りで現役を引退。引退試合で発した「1億円で故障しない肩があったら、ローンを組んででも絶対に買った。そのお金を返せる自信はあった」というセリフは有名なものになっている。

 

現在はトレーニングジムの代表を務めつつ、母校の杜若高校で監督を務めている。故障癖に苦しんだ経験から、ケガをしない体づくりや育成に努めているようだ。

<ユウキ選手が代表を務めているパーソナルジム>

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能力について

ベースは1999年査定ですが一部通年要素も混ぜてます。1999年だけだと付ける青特の候補が少ないんですよね……

19歳(2年目)にしてはかなりのプロスペクトだと思っています

逃げ球:通年要素。被本塁打率0.63、最も活躍した2002年に84イニングで3本しか被弾していないため。

打たれ強さB:移籍時や引退時の発言から感じ取れるメンタルや気の強さを出したかった。

四球四球率5.17。制球自体は悪くなかったようなので気持ちコントロール高め+四球で

スロースターター:デフォから。

ケガしにくさG:大成を妨げた主要因。

 

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