こんにちは。
今回の再現選手は、クビ寸前のところから一念発起を見せてホークスの中継ぎエースとして活躍した渡辺正和選手です。


パワナンバー:11900 81004 71431
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渡辺正和(28)
県立佐賀西高→筑波大学→東京ガス→福岡ダイエーホークス(1993〜2003)
<再現年度:2000年> 60登板 6勝1敗 85回 54奪三振 2.54
選手について
26歳という遅いプロ入りながらも入団して数年間は結果が出ず。戦力外候補に毎年名が上がりながらも、フォーム変更と投球スタイル転身によってリリーフエースに上り詰めた左の技巧派リリーフ投手。
眼鏡と貫禄のある風貌から、付いたあだ名は「なべじい」。吉永幸一郎選手と共にメガネ枠の選手としても有名だ。
1992年のドラフト5位でダイエーに入団。当時のダイエーは深刻な投手難の球団であり、渡辺投手も1年目から即戦力の期待がもたれていた。
しかし、入団当初の2年間は出場機会を与えられながらも思ったような結果を残せず。原因の一つは制球難であり、要所で四球を連発する癖や被弾してしまう癖が見られたためだった。
また故障にも悩まされ、ボールに力はありながらも一軍での登板機会を得ることができなかった。1995年からの5シーズンの間で、一軍登板は合計8試合とまさに崖っぷちの状態に。
迎えた2000年。この年の前後から渡辺投手は腕を下げる決断をし、オーバースローからスリークォーター気味の投球フォームに変更させていた。するとこれが功を奏し、持ち前のボールのキレに細かな制球力と変化球の精度が加わることに。
対左打者相手には右打者と比較して1割近く良い被打率を残すなど、左腕キラーとして大活躍。結果として自己最多の60試合に登板。防御率も2点台中盤と、ブルペンの中核として獅子奮迅の活躍を見せた。
2000年のダイエーが先発ローテに苦労していても優勝を勝ち取れたのは、この人の活躍のおかげもあるはずだ。
その後もダイエーの左腕リリーフとして毎年40試合以上に登板し続けるも、球威の衰えが顕著になり2003年限りで戦力外に。
引退後は福岡大学大学院で教員免許を取得し、福岡大の講師に。また2015年から2019年まで同大学野球部の監督も勤めた(現在は副部長)。
[ad]能力について
シンキングツーシーム:元々渡辺投手はスライダーとスクリューの他に「手元で落ちる球」があり、フォーク・SFF・ツーシームと表記にブレがある状態でした。悩みましたが今回はこちらで。
スクリュー:江川本にはシュートと記述があるが、wikiではスクリューの表記。今回は「落ちるシュート」扱いでスクリューにしました。
対左打者B:対右被打率.248 、対左被打率.152
緩急○:技巧派だが投球スタイルは速球中心で速球が6割近く。そのストレートの威力再現として。
リリース○:イメージ。投球に凄みがない中で直球と小さな変化球をうまく使い分けているため。
回復B・回またぎ○:2000年は60試合に登板して85イニングに投げているが、翌年以降はイニング数<登板数。単年ならありだけど、今回は回復Bのみで十分だと思いました。
コントロール・四球:制球力が売りと言われているが、四球率は3.28と決して低くない(D相当)。そのためコントロールを上げて四球を付けました。
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